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人間の犯す愚行

徳重神社詣りをする人達だったら

町ぐるみで過去を封印し…

お参りかないまいした

日置市の文化財のことなのですが…

戦国島津の史跡マップについて

薩摩留学生に関する質問

妙円寺HPについて

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妙円寺詣り、歴史や由来にまつわるご意見・ご質問はもとより、葬儀や仏事に関する素朴な疑問や、
お寺の年間行事についてのご質問なども受け付けております
掲載に際して 個人情報やプライバシーには充分配慮いたしておりますが、
掲載後 不都合などございましたら遠慮なくお申し出くださいますようお願い致します。
また、掲載された記事、投稿者に関してのお問い合せには一切応じておりません。
                                       合 掌

ご意見・ご質問・お問い合せ

人間の犯す愚行
 明治維新、学校では、文明開化などと教えていますが、ご貴殿のホームページを見て、なんとも恥知らずなことをしたものだとあらためて怒りににた腹立たしさを感じます。
江戸から明治維新の外圧の恐怖と、それにつけこんだ愚人達の裏切りと驕り、日本人の心の錯乱そのものが廃仏毀釈となったのでしょうか。薩摩に限らず、ほとんど日本全国に愚行が存在したものと思います。どこかで発生したものが全国へ飛び火したというのではなくて、国学者と現在呼ばれている(当時のテロリスト)もの達が、不満藩士達などをそそのかして、全国組織的におこなった形跡を感じるからです。そこから、その後の日本の富国強兵・軍国化、人の理想の姿を見間違がわせて、次々と、戦争にあけくれる時代のはじまりが、そこにあるのかもしれません。
そして60余年前の敗戦。
しかし、その後の米国のコントロールよろしく、おかげで日本は今に至ってもまだ目が覚めていないようです。うわべと異なって現在の人々に、こころの廃仏毀釈が潜にすすんでいるようにも今も感じられるのです。
あまりしられていませんが、私の住む越中にも幕末から明治のはじめに廃仏毀釈の嵐が吹きすさびました。記録がほとんど存在しないくらいにです。人々も語り継ぐ口をふさいでしまいました。歴史から除去しようとするやからの思うつぼに、はまっていきます。
こんななかでも、真宗の富山別院が、境内に残る碑に基いて、越中国の廃仏毀釈を紹介する本の出版を計画しているようです。出版がまたれます。
日本の歴史の数多い愚行の中でも、最も愚かな廃仏毀釈をもっともっと今の日本の人々に知ってもらわなくてはならないと思います。
人間の犯す愚行が、学校の教科書に正しく記載されるほどにならなければ、本当の教育にならないし、日本も目が覚めたとはいえないのでしょう。
頑張れ!妙円寺!

はるか富山の空の下より 念じます。

   
 

まず始めに御返答おそくなりましたこと、まことに申し訳ございません。

黒船などの来航により、未曽有の外圧を感じていた当時の日本でありましょうが、佐幕派、討幕派に限らず、私心を捨て 公の志を高く持ち、その高き志で新しい日本へと導いた高杉晋作、坂本龍馬、勝海舟などの幕末の真のヒ−ローたちは、明治新政府の神仏分離令に端を欲する廃仏毀釈などという まさに人間の犯す愚行など、予想だにしなかったでしょう。
戊辰戦争までの討幕のヒーローたちと 明治新政府を混同することは大きな間違いで、彼らの目指した時代とは全く違ったものになったのではないでしょうか。

御都合主義の国史学者は、幕末の聖人も愚人も一緒にし、2010年現在まで教えようとせんとしてまいりましたが、彼らもそろそろ目を覚ましていただきたいと思うのであります。

お便りありがとうございました。
はるか薩摩の空の下より感謝申し上げます

合掌

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徳重神社詣りをする人達だったら…
突然、失礼します。2009、4/25の三重県・治水神社・春季大祭に出かけた者です。当日、”はっぴ”の襟に、関西伊集院会・妙円寺詣りの文字が書かれた一団がみえました。どんな団体なのかという疑問をもって、いろいろ検索したところ、唖然としました。そして、”妙円寺詣りは妙円寺に詣り、徳重神社はなんら関係無し!と、ごく自然に、常識的に判断しました。当然です。義弘公は現在、分骨状態と考えます。一刻も早く木造は妙円寺に返すべきです。何故できないのでしょうか?当時はそうせざるを得ない状況だったかもしれませんが、今の世になったら、元に戻すのが当たり前ではありませんか?鹿児島県人は神社で、妙円寺詣り?をすることに何も疑問がないのでしょうか?”妙円寺詣り”のはっぴを着ていた団体が、徳重神社詣りをする人達だったら、こちらの宝暦治水・薩摩義士に感謝する大祭への参加はいかがなものでしょうか!島津の殿様、平田勒負、薩摩義士に感謝する大祭がおかしなものになります。こちらは小学生まで”みこし”をかついで、感謝の大祭に参加しています。次世代への当たり前の、海津市の行政・教育的配慮です。この点、日置市は・・・。どうか一刻も早く、妙円寺が明治2年の正常な状態に戻ることを祈ります。

愛知県(男性)
この度のお問い合せ及びご意見、誠にありがとうございます。
おっしゃられる通り、あなた様の疑問は我が寺をご支援してくださる皆様と同じご意見でございます。
当寺も現在の地に復興以来歴代住職が書に記し 真の歴史を伝えようと、行政すなわち歴代伊集院町長、教育委員会及び商工観光課に対し 現状の妙円寺詣りの解釈の改善を要請してまいりましたが、なにせ百三十年にわたる悪政の腰の重さゆえ その歴代の伊集院町長の悪しき志を受け継ごうとせんものが殆どであり、現在2009年に於いても妙円寺は相変わらず無きもののような扱いであります。現市長、前町長も選挙前には 『私が町長(市長)になったなら妙円寺詣りは変えてみせます。』などと都合の良いことを言い、結局はその約束を反故にしてまいりました。しかしながら、当寺公式ホームページ作成以来 あなた様のような良き理解者の方々より温かいメールを頂くことも多くなり、少しずつではありますが 百三十年来の悪しき暗雲を吹き払う良き風が吹き始めていることを感じております。
明治まで仏神混合であった日本人の信仰。神道派が「神仏を分離せよ!」とまずは神宮寺からの仏像の破却より始まった廃仏毀釈。
それを自分達に都合の良い仏像は盗み、ご神体としているのはいかにも不自然、矛盾極まりない話にあります。
当寺も還してもらって当たり前!と今も思っております。

本当に温かいご意見 誠にありがとうございました。今後とも当寺へのご支援 よろしく申し上げます。

合掌

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町ぐるみで過去を封印し…
はじめまして。
山口県に住む○○と申します。
幕末〜明治維新〜新政府〜廃仏毀釈・・をネットで調べていて、こちらのホームページにたどり着きました。
鹿児島県の三大行事である『妙円寺詣り』は有名なので私も存じてはおりましたが、このような舞台裏があったというのは今回初めて知り 驚きました。
幕末以降、薩摩と長州は同じような歴史の流れをたどり、また山口県でも廃仏毀釈がひどく行われたというふうに聞いております。
ただ現在でも山口には多くのお寺が残り、神社とお寺は互いに別のものとして日常生活の中に浸透しております。
また妙円寺様と同じ石屋派の流れをくむ山口の『瑠璃光寺』、長門の『大寧寺』は観光協会などもお勧めの観光スポットとして広くPRをされているようです。
明治初期の廃仏毀釈で失った沢山の文化遺産については大変悔やまれますが、不思議なのは町ぐるみで過去を封印し、間違った歴史を造りあげてきたところです。なぜそこまで神社をバックアップしなければならなかったのか理解に苦しみます。明治・昭和も終わり、現在2009年です。時代の先を見据え、明治維新の中心となった鹿児島の歴史・行政の考え方は未だ明治初期のままなのでしょうか?行政に 一刻も早く ゆがんだ歴史を修正できる頭の良いリーダーが現れることを願います。また妙円寺詣りが本来の妙円寺詣りに戻ることをお祈りいたします。

山口県(女性)
御意見ありがとうございます。
薩長を中心とした、明治維新による近代政府の確立は素晴らしい偉業でありましょう。しかしながら影の部分もあります。もちろん廃仏毀釈のことでありますが、不思議と鹿児島の歴史家はそのことを伝えようとはしません。

あなた(山口県・女性)のおっしゃられる通り まさに舞台裏、廃仏毀釈のことも真の歴史として伝えていくことこそ教育者の使命であると思いますが。
寺院を全廃した地、鹿児島の学者や教育者にとってみれば、外来の仏教の破却すなわち廃仏毀釈など大した事件ではないとお考えなのでしょうか。

山口の方、貴重な御意見、誠にありがとうございました。

合掌

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お参りかないました
鹿児島へは何度も行っていたのですが、妙円寺にいったことが無かったので念願かない昨日お参りをすませた者です。
たまたま空港バスを伊集院駅で降り損ね、松下電子前まで行ってしった為看板を辿り歩きながら御寺を発見することが出来ました。
帰りがけに神社を見かけましたので、ついでに参拝して行こうという軽い気持ちで 入ったらどうもこちらが本物の妙円寺と言わんばかりの案内に愕然としました。
非常に違和感を覚えましたので帰ってきてから御寺のHPを拝見し事情が分かりました。
先に御寺に参拝していたのでよかったのですが、知らずに徳重神社に参拝していたら、 御寺を知らずに帰っていたことでしょう。 (また行かなければ行けないところでした。)
義弘公の思いを無視している伊集院町の考えに私も非常に憤慨しているところです。

東京都(一旅人様)
この度の遠方よりの御来山、お疲れ様でした。まことに嬉しく思います。
島津義弘公も大変お喜びのことででありましょう。
県外から来られた方、いや県内においても常識的なお方なら愕然、憤慨して当然の日置市伊集院町の史跡案内にはさぞ驚かれたことでしょう。
そうです。あれが“歴史と教育の町”を謳う伊集院町の実態であります。
今は力不足で、まだまだの状態ですが、当寺も私も一層精進してまいりますので、
今後ともご支援、よろしく申し上げます。
東京の心ある方、誠にありがとうございました。

合掌

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日置市の文化財のことなのですが…
NHK大河ドラマ天障院篤姫を見て以来鹿児島に興味があっていろいろとHPや歴史を自分なりに勉強している、学生です。
日置市の文化財なんですが、そこに在るべきものが文化財指定されていることにはなんの文句もないのですが不思議なのは本来そのお寺にあるべきなのに木像などが、公共の施設や公民館のようなところにあるまま文化財となっているのでしょうか?
 
ちょっと納得がいかなくて、メールさせていただきました。皆様の意見や、他の廃仏希釈や妙円寺参りのホームページを見ていると、日置市に直接メールするよりも、本当のことが教えてもらえるのではないかと思い、メールしました。
よろしくお願いします。

高知県(学生)
まず始めに開山石屋禅師のページや廃仏毀釈のページを読んでいただければお解かりいただけると思うのですが、(天璋院篤姫では全く触れられておりません) 昔 薩摩では 千六百以上の寺院が存在しておりました。しかし廃仏毀釈運動という愚行により、そのすべてが廃寺となってしまったのです。
現在でも多数の寺院が残る四国のあなた様には理解できぬ話かも知れませんが、そのようなことが公然と行われた地なのです。

おそらくあなたがおっしゃられていることは、日置市指定文化財23番
梅岳寺舜有和尚木像バイガクジシュンユウオショウモクゾウ(伊集院地区館のことでありましょうが、先に触れた廃仏毀釈の関係により梅岳寺は現在も廃寺になったままなのです。
梅岳寺もまた石屋派の流れをくむ寺。現在鹿児島県に復興している石屋派の曹洞宗寺院に一度返還してからの文化財指定が筋かと思いますが、他のページをお読みになれば、この町の倫理観がよくお解かりになると思います。
また日置市指定の文化財のページにはありませんが、未だに本来寺院にあるべき貴重な仏具や書物・茶碗などがなぜか在家(一般の家庭)に存在すると聞いております。

今回のお便り、誠にありがとうございます。

合掌

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戦国島津の史跡マップについて
戦国島津の史跡を辿る
徳重神社 妙円寺
島津義弘ファンです。
たまたま日置市HPを見ていて疑問に思ったのでメールさせていただきました。

『戦国島津の史跡…』のタイトルで掲載されていた(最近は見ない?)日置市の観光マップですが、島津義弘公にゆかりのあるのは徳重神社なのですか?妙円寺がもともとの菩提寺ですよね。
こんな説明文では妙円寺はなぜこの史跡マップに載っているのか意味が解りません。


また(廃仏で焼き払われたはず?)妙円寺の本堂を神殿としてとありますが、本堂は残っていたということなんでしょうか?

(会社員)
お便り(メール)有難うございました。
この伊集院町の企画、「島津義弘と〜」…
それはそれとして、質問に答えさせていただきます。


Q>>島津義弘公にゆかりのあるのは徳重神社なのですか?妙円寺がもともとの菩提寺ですよね。
こんな説明文では妙円寺はなぜこの史跡マップに載っているのか意味が解りません。


A>>そうですね、1345年に大内義弘の息女の菩提を弔うために建立された法智山妙円寺が、
後の島津義弘公菩提寺、法智山妙円寺な訳ですから。表現が曖昧ですね。


Q>>また(廃仏で焼き払われたはず?)妙円寺の本堂を神殿としてとありますが、本堂は残っていたということなんでしょうか?

A>>本堂など真っ先に焼かれ、残っているはずなどありませんね。廃仏を100%断行した薩摩国ですから。
現存する徳重神社社殿をみても、とても寺領500石を誇った寺院の本堂跡の規模とはいえませんね。


※当寺としては、なぜ徳重神社が別枠に置かれ、妙円寺が末席なのかも意味がわかりません。
廃仏の際、妙円寺を焼き払い、島津義弘公が自ら妙円寺に献上した僧体(木像)を無理矢理奪い、
それをご神体として明治時代に建てられたのが徳重神社なのです。
また、本寺に触れた“妙円寺という名については… … よって「妙円寺詣り」
の妙円寺とは関係ありません”とでも言いたげですね。


会社員の方、御意見と資料、誠にありがとうございました。

                        
 合掌

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薩摩留学生に関する質問
幕末に密航留学した薩摩留学生の一人、畠山義成に関心があり、いろいろ調べていて、そちらのサイトを拝見しました。
廃仏毀釈のお話、大変興味深く読ませて頂きましたが、それとはあまり関係ありませんが、伺いたいことがあり、メールさせて頂きました。

この薩摩留学生のことを書いた本(犬塚孝明氏「薩摩藩英国留学生」)に、彼等が出航まで潜伏していた羽島へ向かう途中で、伊集院の禅寺「妙圓寺」に泊まって武運長久を祈った、と書かれています。
妙圓寺というお寺はみつかりませんでしたが、そちらのお寺が島津義弘公の菩提寺ということで、恐らく、そちらではないかと思ったのですが、そうでしょうか?もし、そちらのお寺がそうであっても、廃仏毀釈の件で、文献などは残っていないと察しますが(実際に、当時お寺のあった場所は、現在の徳重神社という神社になっているとお見受けしました)、ぜひ、場所だけでも知りたいので、訪問したく思っております。これはそちらのお寺と考えて宜しいでしょうか?

見当違いであれば、大変申し訳ありませんが、何かご存じであれば、是非教えて頂ければ嬉しく存じます。
宜しくお願い致します。

 (女性)

この度はメールありがとうございます。
  
さっそくですが御質問の
1.羽島へ向かう途中で、伊集院の禅寺「妙圓寺」に泊まって武運長久を祈った、
 
2.そちらのお寺が島津義弘公の菩提寺ということで、恐らく、そちらではないかと思ったのですが、そうでしょうか?
 
3.そちらのお寺がそうであっても、廃仏毀釈の件で、文献などは残っていないと察しますが(実際に、当時お寺のあった場所は、 現在の徳重神社という神社になっているとお見受けしました)、 
 
○○様の認識で間違いございません。ご存知の通り、明治二年までは旧妙圓寺が徳重神社の場所にありましたので。
廃仏の際、貴重な資料など消失したり、島津義弘公が妙圓寺宛に書いた直筆の書などもなぜか未だに徳重神社の所有となっております。
 
ただ幕末より、薩摩の留学生たちや、明治に現在の場所に復興してからも、海軍・陸軍の軍人の方や海運・陸運関係の方、
また受験生の方々が、
跡地に徳重神社がありながら当寺に参拝されたのは、前住職よりよく聞かされた話であります。
また現在でも寺院としては必勝祈願の祈祷等、参拝される方が多いですね。

それは今も昔も海戦・野戦において、奇跡的な活躍を遂げた島津義弘公の武運にあやかりたいと皆様思っていたに他なりません。
それだけ薩摩において、島津義弘公の存在は特別なものであると言うことでしょう。
 
畠山殿も最期は船中…残念でしたが、生前の業績はその武運に十分に恥じないものではなかったでしょうか?
 
何かありましたら、またのお便りお待ちしております。
また、御来山いつでもお待ちしております。

合掌 

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妙円寺HPについて
はじめまして。
突然のメール、すみません。
県内出身、福岡在住の学生です。
先日戦国ぴあで妙円寺の存在を知りました。
妙円寺詣りには行ったことがなかったので、HPを拝見しても事情がよく理解できなかったのですが。(未だに…)
 
それにしても興味深いHPです。内容も充実しており、気品のあるデザインにも惹かれます。
今後の動きや内容が気になるところですが、あいにくプライベートのPCを持っておらず、自宅で見ることがかないません。

携帯版または携帯への発信は不可能なのでしょうか?よろしくお願いします。
 
福岡県
まずは当寺院ホームページのことお褒め頂き恐縮です。
パソコンをお持ちでないとのことですので、HP上でお答させていただきました。

興味深い、知らなかった、信じられないなど、あなたと同じような御意見をよく頂きます。もちろん『妙円寺詣り』についてですが、
背景をよくご存知でない方は一見「妙円寺」が『妙円寺参り』に迷惑だと抗議しているわけですから不思議に映っても仕方ありません。

またそれは見事なまでの行政のトリックですのでよく理解できなくとも無理もないと事だと思います。
地元の教育者や学者層でもこの事実を全く知らない方が多いのです。
そういう方々はまだよいとして、問題なのは妙円禅寺の存在と、この歴史的行事の流れを
知っておきながら、見てみぬ振りの都合のよい歴史を伝えてきた者達がいると言う事実です。
例えば教育委員会が発信している郷土史を、はじめから疑って見る人などいるでしょうか。


もう一つ。ご要望の携帯版HPのことですが、勿論、モバイルでの情報発信は視野に入れております。
近日中にも製作に取り掛かってもらい、メインページにてQRコードを公開したいと思っております。


メールありがとうございました。

合掌

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