妙円寺慈愛の丘 とそ動物霊園〜ペット火葬から納骨・葬儀・供養まで
 鹿児島中央駅より車で7分。桜島や壮大な景色を一望できる動物霊園です。
鹿児島市唐湊2丁目1123-7
 宗教法人 妙円寺
 慈愛の丘  とそ動物霊園
フリーダイヤル 0120−59−1194
一 期 一 会
1 はじめに…
1 最愛のペットが最期の時を迎えたら…
3 ペット供養・ペット葬儀は現代人のみの慣習か…
4 火葬について 
6 その後の供養について…
6 ペットロスについて
6 “ペットと呼ばれる生命たちの光と影…。 
7 今は亡き 愛しき君へ
7 生きとし生けるものすべて
そして施餓鬼供養 

◇一部 妙円寺blog「和顔愛語」より抜粋
 
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とそ動物霊園 一期一会 ペット火葬から供養まで 
 
 火葬について…。
ペット火葬について
生前の御姿とはこれでお別れとなります。

慈愛の丘 とそ動物霊園では、火葬炉で御遺体と一緒に花束はもちろん、思い出の品(お気に入りのおもちゃ、おやつ、食事、写真、メッセージ等)持たせてあげることができます。基本的に金属類はNGです。

これで最後のお別れになるのですが、この火葬炉への御見送りが御遺族の感情がピークになりやすく、我々も一番辛い瞬間です。ご家族の涙は何度経験しても慣れないものです。いや、きっと慣れてはいけないのだと思います。

今までたくさんの涙をみてきました。
恰幅のいい中年の紳士が、泣き崩れたり、どうしても辛くて立ち会えないと控室で泣きながら待っておられる方、煙突から出る水蒸気を呆然と長時間見続けている方、火葬が終わるまでその傍からじっと離れない方。

しかし、その涙はいかにも美しくピュアな涙です。その行動は、あなたの家族であり親友であり、兄弟のようであったペットと呼ばれる生命への愛情の証なのです。決して恥入る事ではない極々自然な感情なのです。

昔、あの有名な一休禅師の元へ、ある村人が相談に来ました。
「一休和尚さん、私の家は先々月爺様が死に、先月は婆様が死んでしまいました。不幸続きで何か憑りついてでもいるんじゃないかと残った家族で気味悪がっているところです。」と言うので、「お主の亡くなった爺様は確か八十三だったな、婆様はちょうど八十じゃった思うが、なんと幸せな家かのぉ。は、は、は。」
「はぁ」と不思議そうな村人に一休禅師が言います。
「歳の順にお迎えがくるほど幸せなことがあるか、娘や息子、働き盛りのお主なんぞが先に行ったらそれこそ不幸続きと言えるがな、のお。」
それを聞いた村人は安心して喜んで帰ったという逸話があります。

この話を思い出してふと思ったのですが、何度も言っている通り、ペットは人間よりも早く歳を取り我々の年齢をあっという間に追い抜いていきます。これは仕方のないことです。こないだ赤ちゃんだったのに十年も経てばもう自分より先輩になっています。しかし一緒にいる時、御祖父ちゃんやお婆ちゃんと暮らす感覚の人はまずいないのではないのでしょうか。
ペットは幾つになっても自分より年下の息子や娘、また弟や妹のような存在であり、その死の際に見送るとき、実はこれがなんとも割り切れないペットとのお別れの感情(涙)として表れるのかもしれません。

綺麗ごとを言わしてもらえば、慈愛の丘 とそ動物霊園は事業ではあるが事の目的は有情への供養である。
御遺族の涙に触れる度に襟を正して作務にあたっています。
心をこめて一期一会の精神で火葬の儀にあたらせていただいています。

そして、そういう施設が増えない限りこの業界は世間にオーソライズを許されないのではないかと常々思って施設づくりに取り組んでいます。
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 その後の供養について…。
ペット火葬・その後のペット供養について
当霊園では火葬が終わると個別火葬の場合骨壺の収骨し粉骨や一部のお骨は御本尊(合祀墓)に埋葬します。

そのあと自宅で供養する方、当霊園へ納骨する方、また、自宅で埋葬するかたなど様々な供養を行ないます。ペットは宗教も宗派も持ちませんので、こうしないといけないという決まりはありません。

■御位牌について…。
位牌は禅僧が鎌倉時代に死者の霊をまつるために、中国から伝えたと言うのが通説。

公家や武家社会に普及し、更に一般人にまで浸透した。
「動物に位牌など必要か?」
と思われる方もおられるだろうが、どこまでが良くて、どこまでが駄目なのか…答えなどあるはずがありません。
ですから我々はペット位牌について肯定も否定もしません。

戒名については必要ないと思います。何故なら、業の深い人間の生前の行いを戒めるので“戒名”と書きます。ワンちゃんやニャンちゃんはお利口にお留守番をして、人間に癒しを与えてくれて、と何も悪いことはしていないのですから、戒める名など要らないという訳です。

■自宅供養について。ペットのお骨を自宅に置くと災いが起きるか…。
「全くの迷信」です。
どうしてこういう噂がまかり通っているのか私には解せませんが、よく問い合わせのある案件です。
日本人なら誰でも見たことがある仏壇。長男さんなら家に持たれている方も多いでしょう。その仏壇の真ん中に線香やロウソク、数珠などを入れてある引き戸の仲のスペース実はこちら小物(仏具)入れではないんですね。本来れっきとした「納骨堂」のスペースなんです。古来から日本には自宅にも分骨しておく風習があったのですね。

ではこのせいで災いが起きてその風習が無くなったのでしょうか(笑)馬鹿げていますね。単に分骨の風習が無くなったのを、災いが起こらないと収入にならずに困る人達が「家に骨を置くと云々…」となったのでしょう。
皆様も高額な壺や訳のわからない水などお求めになりませんようお願いいたします。

■納骨供養について…。
それでも、ちゃんとした宗教施設に大切なペットちゃんのお骨を預けたいとおっしゃる方の為に。慈愛の丘 とそ動物霊園では納骨堂も完備しておりますのでお気軽にお問合せください。

最近、とそ動物霊園に納骨に来た女性のお話です。以前、長い間連れ添った飼い犬が亡くなって、火葬をした跡、一緒に納骨をしたいのだと先祖の眠る霊園に相談に行ったそうです。

するとそこの管理人から「犬畜生の骨などを当霊園に納めることなどできない」と拒まれたそうです。霊園側にも規約はあるだろうし、管理人がどういう意味合いで言ったのか知らないが、大切な家族と伝えているにもかかわらず、「犬畜生」などと軽々しく口にできる人間のエゴと配慮のなさに驚かされます。

そして、「畜生」…私はこの言葉が嫌いです。

元来仏教用語で六道の畜生道から由来しているのだが、この世界はたがいに相手を狩って食す苦しみの多い世界ということらしいが、我々人間も、自然の恵みを頂いて生かされている。人間がその言葉を使うのは謙虚さに欠ける気がしますね。

で、ペットちゃんは「畜生」か?違います。
家族です。

いかにせよ、人それぞれの思いが満足できるところで慈しむことができれば、
いいのだと思います。心の落ち着きは千差万別。答えなど人それぞれに見つけると言うことなんだろうと思います。

なぜなら我々は、飼い主の心の落ち着きこそ、今は亡きペットちゃん達の幸せだと思っているからに他なりません。
 ペットロスについて
ペットロスについて 
我々と御縁のあった方々は、大なり小なりペットロス症候群になる方が多いようです。

「体調など崩されませぬよう、御自愛ください」と言葉を掛けてお送りするのですが、やはり家が近づくにつれ、辛くなる方も多いようです。

当然です。家族を亡くした喪失感は簡単に癒やされるものではないですし、
主を無くした食器やお気に入りの玩具ほど、哀しい風景は無いのではないでしょうか。

 しかし私はこの“ペットロス症候群”の症状の克服について「こうすればよい」という言葉を持ち合わせていません。それは人によって症状も様々でしょうし、その道の権威でもありません。

ただあの有名な「犬と私の10の約束」〜のサイトウアカリ著〜の一節が妙に頭に残りました。

“私は父と進君と一緒に、ソックスがいなくなった犬小屋を片付けることにしました。そうしないと、いつまでもソックスがいない悲しさから抜け出せない気がしたから。”

ペットロス症候群について意外と的を射ているのかもしれません。
あかりさんがそうであったように、思い出の品も、捨てないまでもせめて隠してしまうくらいの配慮が必要なのかも知れません。

それと、中途半端な慰めの言葉も邪魔になるだけだと思います。
「ペットが死んだくらいでなんだ、元気を出せよ!」
「え〜!?犬が死んだくらいで、そんなに落ち込むものなの?信じられない」
「気の毒だね。ペットは死ぬとこうだからな、だから飼いたくないんだよ、おれは」

悪気はないにしろ飼い主にしてみれば実に“心無い言葉”でしかありません。
しかしそれでも割り切って、考えないこと、聞き流すことも大事ですね。

逆に、〜光明といふは人々なり〜 道元禅師 で、本当に家族を失ったあなたをなんとか慰めてあげたいと自分のことのように悲しんでくれる人もいるはずです。

「“時間”が元の自分を取り戻してくれる。いつかまた君に会える」と前を向いて、なんとかペットロスを乗り越えていってください。
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