妙円寺縁起
妙円寺は福井の永平寺と、横浜鶴見の
妙円寺は元来、現在の徳重神社の場所にありましたが、廃仏毀釈に逢い、その全てを焼失してしまいます。その七年後、仏教禁止令が解け、明治13年に現在の妙円寺の位置に復興いたします。廃仏の際に信者が命懸けで運び出した島津義弘公の位牌は、現在でもこの妙円寺に安置されております。
ご本尊について
妙円寺のご本尊は、仏教の開祖でもある「お釈迦さま」です。
曹洞宗では、中国(南宗)に渡りお釈迦さまの教えを学び、永平寺を開かれた道元禅師と、總持寺を開き、教えを全国に広められた
拝む時は「
住職あいさつ
妙円寺住職の
【プロフィール】
11才で得度。慶応義塾大学卒業。長崎県の専門僧堂、晧台寺で修行の後、妙円寺第六十一世住職に就く。
島津義弘公と妙円寺
島津家十七代当主 島津義弘公は、伊集院の一宇治城(現在の城山公園)で育ちました。幼少より妙円寺を訪れては、座禅を組み、学問や仏学を習っていたそうです。妙円寺を創立した石屋禅師の威徳に感銘し、妙円寺に深い愛着を持っていたことから、妙円寺を自らの菩提寺と定め自己の木像を納めました。
戦国島津位牌堂
当寺では、明治維新まで続く薩摩の活躍の源流を生み出した、島津義久、義弘、歳久、家久の島津四兄弟。そして関ヶ原の戦いで義弘公と共に戦い、惜しくも戦死した家久公の長男 島津豊久公をご供養しております。