代々伝わっているものから最近のものまで、妙円寺で所蔵している寺宝をご紹介します。
【左上】開山石屋眞梁大禅師
【中】竹居正猷大和尚
【右下】愚丘妙智大和尚
開山石屋禅師と弟子の竹居正猷大和尚、愚丘妙智大和尚の木像
(画像は福岡市美術館編集発行“悟りの美 西国曹洞宗寺院の什宝展”より)
木造三体
廃仏毀釈を経て、昔のまま今も、妙円寺にある木像三体です。五五〇年の時を経ています。島津義弘公は幼少より、たびたび、この石屋禅師の木像に参拝したと伝えられています。妙円寺を訪れては、座禅を組み、学問や仏学を習いました。
晩年、義弘公は禅師の威徳を追崇し、妙円寺を菩提寺と定めます。自らも出家し、「維新公」と名乗った義弘公にとって、石屋禅師は憧れの存在だったということでしょう。
廃仏の際、御輿のようなもので、信者により運び出されたと聞いております。また、この木像も、神仏分離令が解けるまで納屋にかくまわれて難を逃れました。
法智妙圓霊位
(大内義弘息女)
大内義弘公のお姫様のこの位牌こそ、妙円寺の由来そのものであります。今やなかなか珍しい室町時代の雲首(うず)位牌です。法智山妙円寺の山号と寺号は、この位牌から名付けられたものです。
島津義弘公位牌
戒名「妙円寺殿松齢自貞庵主」
島津義弘公は長寿を全うし、元和五(一六一九)年七月二十一日、享年八十五歳で生涯を閉じ、島津家の先祖代々が眠る福昌寺に埋葬されました。
開山石屋眞梁禅師五百回記念大遠忌記念碑
妙円寺境内にありますこの記念碑は昭和十一年、島津家三十代当主 公爵島津忠重と縁の深い、町田家の陸軍大将 町田経宇に建立いただいた妙圓寺開山石屋真梁禅師碑です。
【左上】題字…公爵島津忠重之書(島津家三十代当主)
【右下】碑銘…陸軍大将 町田経宇之書
十六羅漢木絵
廃仏毀釈の際に旧妙円寺より持ち出されたものです。郷士の納屋でかくまわれ、難をのがれました。復興の際に快く返還していただいたものです。当時の島津家歴代の、厚い仏教信仰が見てとれます。
金剛力士像画
阿吽一対であったはずの旧妙円寺仁王像、明治初期の廃仏により一体は裏山に捨てられ、もう一体は無残にも旧寺領地下に埋められました。しかし二〇一〇年、心ある画家の岡野真人氏により金剛力士像の油彩画を奉納していただきました。
宇宙の曼陀羅
島津義弘公をイメージした曼陀羅です。安田氏は実際に義弘公の位牌を置き 入魂後制作いたしました。その生涯のほとんどを戦に費やした義弘公へのオマージュです。またこの天井画の制作過程は、鹿児島朝日放送のドキュメント番組として放映されました。
【天井画製作者】
モダンアート協会会員
美術家 安田潤兒